錦織圭選手の活躍と共に、松岡修造さんの露出機会も増えましたね。
どうしてもテニスを知らない人は、タレントとしての側面で判断しがちなのですが、実は凄い人なのでまとめてみました。
テニスの実績もさることながら経歴も凄いので必見です。
実は御曹司だった!
まず、彼の家系が凄いです。
阪急電鉄や宝塚歌劇団などの阪急東宝グループ創始者の小林一三の孫で、後に東宝第11代社長となる実業家の松岡功と元宝塚歌劇団星組男役スターであった千波静との間に三人姉弟の次男として生まれる。 -Wikipedia 松岡修造
凄すぎてよく分からないレベルですね。
この家系に産まれれば人生イージーモードだということは間違いないでしょう。
もっと凄い兄がいた!
子供のころから1歳年上の兄が凄すぎて、弟の修造は全く注目されていなかったようです。
本人も、兄の方がテニスの素質があったと認めるほどで、大学時代は全日本大学選手権(インカレ)に出場するほどの選手でした。
現在は家業を継いで『東方東和株式会社』の代表取締役社長に就任しています。
高校時代に転校していた!
松岡修造のテニスの戦績を見ると、ウィンブルドンでベスト8という成績が一番目立ちますが、高校時代にもインターハイで3冠(個人戦シングルス・ダブルス・団体戦で優勝)を達成しており、高校時代からその片鱗があったことが分かります。
しかしこの戦績は、転校した後の話しでした。
実は東京出身の松岡修造は元々慶應義塾高校に進学しており、テニスに集中する為、親の反対を押し切って福岡のテニス名門校の柳川高校に転校していました。
大学への推薦枠を貰って大学に進学するという約束をして説得したそうです。
高校を退学していた!
国内の大会で活躍したこともあり、ヨーロッパ遠征の権利を得た松岡修造は、その遠征先で何と世界的名コーチと称されるボブ・ブレッドの目にとまります。
さらに驚くべきことに、後日そのボブ・ブレッドが来日した際に「アメリカに来ないか?」と誘われ、今度は留学という話しになります。
もちろん反対されましたが、次はアメリカのハイスクールを卒業・アメリカの大学に進学するという条件で納得してもらったようです。
プロになる気がなかった!
インハイ3冠、テニス留学となれば、錦織圭選手のようにプロを見据えていたのかと思いがちですが、全くプロになる気がなかったようです。
ただ、ボブ・ブレッドコーチからプロの大会への出場を促され、腕試しで出たことをきっかけに、予想以上の成績を残していきました。
すると、とうとうプロでやってみないかという話しになり、本人もその気になります。
またもや約束を破ることになる松岡修造は、2年以内に結果が出なかったら大学へ行くという条件で説得させたのでした。
ここまでの約束をまとめると、
柳川高校に転校して大学の推薦枠を獲得する → 海外留学
アメリカの高校を出て、大学に進む → プロ転向
ことごとく約束を破ってますね!
大怪我していた!
プロ転向後も活躍を続けていた松岡修造ですが、怪我にも苦しんでいました。
あのキャラと体格なので怪我とは無縁そうな印象を受けますが、
- 両膝の半月板を損傷
- 左足首の3本の靭帯全てを断裂
という選手生命が絶たれるほどの怪我をしていました。
そしてこれがキャリアハイの前の出来事ですから驚きです。
テニスのルールを変えていた!
怪我から復活し、ウィンブルドンでベスト8まで進み世界から注目されていましたが、その年の全米オープンの試合中に両足が痙攣してしまいます。
当時は、痙攣は怪我とは認められず試合を中断することが出来ませんでした。
そして、テニスは20秒以内に次のポイントを始めなくてはならない為、苦しみながらポイントペナルティが課せられ負けとなってしまいます。
これが全世界に放映されたこともあり、反響を呼び『痙攣であっても中断が出来る』というようにルールが改正されました。
(現在はこのルールも改正されています。)
まとめ
大きな決断を幾つも経ていますが、その理由がぬるま湯の環境から自らを奮い立たせる為だったり、実力を試したいという好奇心からだったり、自ら人生を変えている印象です。
そして、渡米後は親からの援助も一切なく、お金に苦労しながらも工夫しながら活躍していたそうです。
学校や会社等、環境に文句を言ってしまう人は多々見受けられますが、彼の前では何も言えないですね。
錦織圭選手ももちろんですが、松岡修造さんの今後の活動も楽しみです。
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