とある個人開発者が何者でもなかったときの話

公開日: : よもやま話

今まで個人開発を始めてから今に至るまでの経緯はブログだったりインタビューなんかで話したことあるんですが、その前の個人開発者になる前の話って書いたことなかったなぁと。

正直、需要があるかどうかも謎ですが、単純に暇つぶし程度に読んでもらえるかなぁと思って自分語りします。暇じゃない人は胸糞悪い話しも多いし読まない方が良いよw

基本的には会社を辞めて独立するまでの話しです。

当然、積りに積もった話しなので長いし、特に転職前までは誰も得るものがない話しなので覚悟して読んでください。

中学くらいからパソコンに興味を持ちはじめ、大学では情報系の学部があるところに行きたかったので、志望校を早くから絞り学内テストだけ頑張り推薦を獲得。そして受験勉強することなく大学へ。

中学では野球部、高校でも続けるか迷ったけど野球部へのイメージがよくなかったので帰宅部。その後、唯一の友人の誘いもあってテニス部へ。

友達は少ないし、基本的には陰キャだと思ってる。部活と球技大会のみ頑張るアクティブなインドア派を自称。

ちなみに体育祭と文化祭は仮病で休むくらいだったのでリア充側であることは決してない。

大学でもテニスを続けてるんだけど、サークルじゃなくて体育会の方。ガチだったので何度かメンタル的にも折れた経験あり。

大学では情報系だったし、基礎中の基礎くらいはここで学べた気がする。新しいキャンパスだったこともあり、全席に電源とLANを差し込む端子があるという恵まれた環境(しかも大学からノートPCが貸与)が逆に仇となり、四六時中オンラインゲームをしてた…w

就職活動はネトゲ廃人してたおかげで全然集中してなかったし、部活の大会もあって受けたのはたったの3社。(内、選考の日程がかぶって1つは辞退)

院への進学を考えてたんだけど親の反対もあって泣く泣く就活を続けたら本当に内定を貰ってしまい就職へ。

内定貰った後に知ったんだけど、なんか上場しててTVCMもうってるくらい大きな会社らしくて、進学したかったとはいえ、ようやくそこで自分が綱渡りしてたことに気づいて背筋が凍る。

その会社、ゼミの先輩からの紹介だったし名古屋だったんだけど支社だからそこまで大きくみえなかったし就活ほとんどしてなかったから調べることもせず……

会計ソフトを作って売ってる会社なんだけど、会計には一切の興味がなくてやりたくないけどITだからいっかぁ的な。

ちなみに名古屋で働く気だったのに東京配属になってしまい、大学卒業後に上京してます。

当時は奇跡的に入れた会社だし中途採用もしてない会社だから辞めるなんてことは全く考えてなくて、一生懸命頑張って働いた。

大学で情報を専攻してたので多少のアドバンテージがあったし、色々と器用にこなせるという評価は貰っていたっぽい。

ただ、研修では真面目に受けてたのにやる気がないとみなされたり、そういう周りの目には少し思い悩んだりもした。

でも、自分を見出してくれた先輩がいて、少数部隊っぽいところに引き抜いてもらってからは充実していた。

けれども数ヶ月後……

その先輩が突然の退職。

水面下では退職交渉で副社長から生命の危険を感じるほどの脅しを受けていたとか何とかの裏話を聞き、はやくも会社に対して疑問を感じ始める。

そして、その先輩がいなくなってからは守ってくれる人がおらず、ありとあらゆる人手不足の案件にぶちこまれることになる。

それまで固定資産というシステムに関わっていたんだけど、債務とか経費とか支払いとか基幹会計とか人事給与とか有価証券とか決算とか……

もう完全に便利屋。というかそんなシステム知らない。

システムがバラバラすぎて、当然のように部署を跨いで働いていた。関わる上司も沢山いて、それぞれが自分が他に何をしてるか知らないから、普通の感覚で作業を振ってくる。

その作業も、上司は打ち合わせだけして残りは下の仕事という文化だったこともありボリュームがある。そして、それが10近くもあったのでこなせるはずもなくパンクした。

ただでさえ多いのに、それが知らないシステムとなれば相当やばい。覚える時間もなく、勘に頼って対応したりした。

ミスは当然増えるし、その対応でさらに時間がとられ、悪循環。

その上、頼りにしていた数少ない先輩はほぼ全員退職してしまったり、出来ると噂の先輩がヘルプで入ってきたけど誤魔化すのだけが上手くて結局何も助けてもらえず、早々にフェードアウトしていってガッカリしたり。

もともとアシスタントとかただのプログラマーだった案件も気付いたらメインになっていたりした。

それでも分からないなりに責任は全うしたくて後輩に教えを乞うたりして凌いできたけど、その後輩の上司には時間をとられるから困るという嫌味を聞こえる声で愚痴られ、自分の上司にはどうしてできないのか?と詰められる。

知らないシステムは流石にできないと訴えても、覚えればできるんでしょ?と丸め込まれてしまった。

一番ショックだったのは、一番長い付き合いだったお客さんに提案していた案件の回答はまだかと電話することをその上司に何度も強要され、頻度の高さからそのお客さんに「大変ですね」と同情されてしまったこと。

これだけでも十分キツかったけれど、それ以上のが他にもあったりする。

この会社、新人研修を外注せず社員だけで回すというやり方をしていた。

当然、研修している間は仕事ができないから数字は落ちるので、これに関わると上司からかなり嫌な顔をされる。

会社としては新人の育成に貢献することはプラスとして見てくれるけれど、結局数字でしか評価できない仕組みなので、本質はマイナス。

会社の中でちょっと有名になれるくらいのメリットしかない。

で、何故かそれをやる羽目に。

しかも講師じゃなくて取りまとめる中心的なやつ。

一応有志で、アンケートには「どちらでも」って回答した。絶対他に適任がいるしやりたがる奴がいるから大丈夫と思ってたら、同期100人近くいるのにほぼ全員が「やりたくない」と答えたらしく、白羽の矢が自分に立ってしまったという。

結局自分含め2人で担当することに。しかし、その1人は忙しいからってほぼフェードアウトしてて、どちらかというとアドバイザーみたいな感じになってた。だから実質1人みたいなもんだった。

やることは研修内容決めて、講師してくれる人を探してその上司に貸してくれとお願いしにいくところから、実際の運営まで1年近く費やした。(そもそも新人が100人弱いて、研修期間も4ヶ月くらいあった)

人の調整が大変なのは社会人を経験してる人なら伝わると思うけれど、例外的に開発部は、顧客を担当することがないから売り上げ目標もなく、上司も協力的で助かった。

ただし、比較的簡単に借りられる開発部の講師陣は癖が強すぎた。ずっと社内で技術力でマウント合戦してる人たちだからか、偶然その人たちがそうだったのか分からないけど、性格が悪い人が多くて物凄く大変だったw

これをさっきの顧客10とかを担当しながらやるんだから当然デスマーチになる。

終電なんて当たり前で、時には次の日の終電まで働き続けるという無茶を繰り返していたら身体に異変を覚え始めたりして、それでも自分しかいないから頑張った。何とか乗り越えてようやく自分が担当した研修期間が終わった。

会社の方針で新人はさらに研修を行うことになったけど、開発部預かりだったから自分の手からは離れていった。

ちなみに、毎年の慣例で研修を取りまとめた人は表彰されていたんだけど、自分が担当した年はもう1人のフェードアウトした同期は表彰されて自分はされなかった。

本当に何の見返りもなかった。

ちなみに表彰者が選出される仕組みはボトムアップ型で、自分の上司が推してさえくれれば今回のケースは誰も文句は言えず表彰されたはずなのに、候補にすらしてくれなかったということ。

絶望しかなかった。

むしろ、1人だけ表彰されていることに疑問を感じた人もいたはずで、会社にいることが恥ずかしいとさえ思った。

さらに数ヶ月後、担当した新人からは開発部での研修も終えたから打ち上げをするということで、お誘いを受けた。

表彰されたもう1人は忙しいからいかないという薄情なことを言っていたけど、メインで担当した人が誰もいかないのは可哀想だと思って行った。

信じられなかったけど、蚊帳の外だった。

誰にも相手にされず、1人でお酒を飲むという悲しい時間を過ごした。終盤には新人たちから研修担当の人事と開発部の研修を担当していた人に花束を渡していたりしていた。

自分はそれを隅から眺めていた。

これを見せるために呼ばれたんだろうか?

多分、そうじゃないとは思うけれど、人生で最大の屈辱を味わった。

ここまで書いて、結構酷い状況だったし今の自分だったら速攻で辞めてると思うけど、当時の自分にはまだ体育会で鍛えられた精神力が残ってて、何とか持ち堪えていた。

っで、何が退職のきっかけになったのかというと、実は新婚旅行だったりする。

仕事漬けの生活から一変して普通の時間に起きて普通の時間に寝るという生活を数日繰り返したら、洗脳が解けたみたいに当たり前のことに気付いた。

結婚しても子供ができてもこんな生活をしたくない!

新婚旅行から帰ってきてまた忙しい毎日が始まったわけだけど、時間をみつけて転職先を探す日々が始まった。

そして偶然見かけた2chのまとめサイトで、私立大学の職員は年収も良くて16時に帰れるとか聞いたので、これだと思って名古屋の私大はあらかた応募したと思う。

ただし、倍率が100倍以上とかだった。

書類審査から筆記、面接と選考を突破しても、採用人数が1人なんだからそう簡単には内定までたどり着かない。

しかも東京から試験の度に往復するとなると費用も膨れ上がっていた。

最初は受かったら辞めよう程度に考えていたものの、一度16時に帰る生活を夢見てしまうと、意識せずにはいられなかった。

16時なって、まだここから7時間以上も働くのかと思うと限界だった。

いよいよ転職サイトに登録し、仕事中でも外出の戻り時間を偽ってエージェントと面談した。

とにかく忙しくなくて早く帰れる仕事が良いと訴えたのを覚えてる。

キャリアのことを考えると、次がない仕事は避けた方が良いというアドバイスもあり、結局同業の比較的残業の少ない会社を受けることにした。

ここからは驚くほどトントン拍子に話しが進んで、翌週くらいには面接、その数日後には内定を頂いた。

転職先が決まったとなれば退職交渉となるわけだけど、またそこで苦労することになる。

脅迫を受けた先輩の例もあったし、エージェントの人からも自分の会社は登録者が異常に多いのと、退職交渉の難易度が業界No1だという評判を知らされていたので、甘い考えは捨てて、最初から父親の体調を理由に交渉を始めた。(親父元気だけど)

退職交渉は予想していた通り本当に酷くて、親なんてそのうち死ぬとか、テロリストとか言われたり、こんなつもりで結婚式のスピーチをしたんじゃないとか、地元に戻って公務員を目指すといえばお前みたいな公務員はいらないとかボロクソ言われた。

中にはもう名古屋で採用やめるとか、研修した新人がショックを受けるとか本当にどうでもいいことまで言われてた。

(新人とかにはもう忘れられてるから大丈夫!)

結局何度も交渉しても嘘や脅しばかりで辞めさせて貰えないので精神科に行って診断書を書いてもらった。

退職交渉の際に人格否定され続けて鬱になったことになってるんだけど、今でも本当に鬱だったのかもしれないと思う。

処方してもらった薬を飲もうとしたら妻に止められたw

その診断書を上司に渡したらすぐに人事部に呼び出され、「会社は悪くないけど、お前が人格否定されたと受け取ったんだ」的なニュアンスのこと言い出して本当にクズだなと思った。

とりあえず休職となり、もう使い道のないゴミみたいな扱いになったので退職も簡単にできる状態だと確信して気が楽になった。

ちなみに、希望通り退職はできたんだけど、退職とか考える前から会社で受けさせてもらってた通信講座の費用を請求されたりもした。

もう嫌がらせだとしか思えないし、絶対に屈したくなくて反論したら払わなくて良いことになった。ここまで徹底してクソなのは潰れるまで治らないだろうと思った。

ちなみに、この休職期間に時間を有効活用したいと思って始めたのがアプリ開発。

Mac miniを買って電卓アプリ作り始めたのがとても懐かしい。

この時はただの趣味で、PC代と登録料がいつかペイできたらいいなぁ程度だった。

そして次の会社は名古屋だから引越しをして無事入社。

社長と営業部長と、エンジニア20人いないくらいの小さな会社。

ちなみに、就活を本気でしなかったことは前に書いた通りだけど、本当に業界のことも知らなかったので、常駐というものも初めてだった。

入社後に面談があると聞いて何のことかさっぱりだったし、退職するまでの1年ちょっとで3人の社員としか会ったことがない。そして前の会社がIT業界ピラミッドのトップに君臨していたのだとここで知る。

幸い営業部長がお喋り好きで、聞いてもないのに色々教えてくれて助かった。

例えば業界のこととか、エンジニアの定年説とか色々。中には社長のクソっぷりも教えてくれて、始め冗談かと思ってたけど社長を近くでみているうちに本当だと気付いて笑えた(笑えない)

先行き不安にはなったけど、本当に残業しないで定時で帰ることができていたので会社を辞めるほどには考えていなかった。

ただ、残業しない分、年収がガクッと下がって、普通に生活していたら貯金はできない状態だとしばらくして気付く。

さらに数ヶ月後には同じ常駐先にいた先輩が、かなり出来る人だったのに外食なんて滅多に出来ないと言っていて、不安が危機感へと変わっていく。

仕事内容は前の会社でやっていたこととほとんど同じで、担当が1つしかないから、単純に仕事量が10分の1になったということになる。

同じペースで仕事をすると、1日分の作業として割り振られたものを1時間足らずで終わらせることができるので、楽を通り越して暇だった。

それでも残業は死んでもしたくないのと、以前の会社のトラウマもあって、余分な仕事を貰うことは一切しなかった。

そして、1時間の仕事をゆっくり定時に合わせて終わらせるクソスキルが身についた。

でもやっぱり限界があって、散歩にでかけたり、トイレで篭城したり、ぼーっと作ってるアプリの仕様を考えたり、ネットで情報収集したり、Twitterしたりしていた。今のアカウントもこの時作ったもの。

とにかく暇で暇で仕方がなくて、仕事もしたくなくて勤務時間の8時間が人生この上なく無駄な時間であると感じ始める。

このままじゃ将来が不安だということ、8時間を無駄にしていると感じているところへ、アプリ開発者のオフ会が名古屋であるという情報を目にする。

知り合いも当然いないけど、有名な方も来るみたいなので思い切って参加。

全然話せなかったけど、アプリ開発してる人たちは楽しそうだったし、独立しても社員を雇わず1人だけなら食べていくのは難しくないと聞き、退職を決意。

このままジリ貧で好転する可能性もないまま転職が難しくなる年齢になるより、博打だとしても今のうちに挑戦しておかないと本当に底辺のまま人生が終わると感じた。

ちょうど子供ができたタイミングでもあり、どうしても育児に参加したかったので、数日後には退職を切り出した。

(育児休暇をとることも一瞬考えたけど、退職を切り出す方が楽だったw)

さすがに引き止められたけど、人道的な対応をして貰えたことに感謝をして退職時期などをかなり譲歩した。

人生で初の円満退社を経験することになり、送別会まで開いて頂いた。

実は退職してすぐに独立したというわけではなく、しばらくは失業保険を貰いながら就職先を探していたり、出来る範囲でバイトしたりしていた。

一応アプリも作っていたけれど、食っていくには難しすぎる収益しかなかったので、他のことも視野に入れていた感じ。

ちなみにバイトはクラウドソーシングで知り合った人から仕事をもらって、今思うと超格安で作業していた。(稼ぎすぎると失業保険貰えないからそれでも良かった)

でも、あるタイミングで無茶振りされて、無理だと断ったらキレられて、珍しく自分も言い返した。

その結果、関係は解消したけど腹を割った会話ができたおかげで色々と本音を聞くことが出来て自分の甘さを認識する。

それで、アプリ開発を専業にする覚悟ができてそのタイミングで独立(開業届け)をするという流れ。

振り返ってみても、このタイミングではアプリで稼げる兆しもなかったし、妻子がいるのに何やってるんだと思う。

一応退職やら独立やらの大きな行動に関しては妻と相談の上で決めてはいるけど、自分の決断を否定することなく認めてくれたことは本当に感謝しかない。

それと最後に、恐らくみんなが期待していたような過去じゃなかったと思う。

ゲームという単語は出てこなかったし、基本的に周りから評価されることもなく、どこにでもいるサラリーマン程度の経歴しかない。

アプリ開発も高い志をもって始めたというよりは、成り行きの要素も強かったので、誰の過去だったのか頭から抜けていたのではないかと……w

でも逆に考えれば、ゲーム会社で働いていなくても、社会人として成功していなくても自分のレベルまでは到達できるよ!という希望にはなったんじゃないかなぁと。

もしそうだとしたら嬉しいです。

取り留めもない随分と長い文章になってしまいましたが、個人的には抱えいたものを吐き出してちょっとスッキリしました。

そして、最後までお付き合いしていただきありがとうございました。

また気が向いたらブログ書きます!

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